大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)1175号 判決 1965年8月17日
第一審原告(昭和三七年(ネ)第一、三二五号事件控訴人、第一、一七五号事件被控訴人) 坂上武雄
第一審原告(前同) 坂上ハナ
右両名訴訟代理人弁護士 鮒子田茂
第一審被告(昭和三七年(ネ)第一、一七五号控訴人、第一、三二五号被控訴人 大阪市
右代表者市長 中馬馨
右訴訟代理人弁護士 南利三
同 南逸郎
主文
第一審被告の控訴に基き、原判決を左のとおり変更する。
第一審被告は第一審原告両名に対し夫々金二〇万円宛、及び右各金員に対する昭和三一年一〇月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第一審原告両名のその余の請求を棄却する。
第一審原告両名の本件控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を第一審原告両名の負担、その一を第一審被告の負担とする。
本判決は第一審原告勝訴の部分に限り、第一審原告両名において夫々金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
一審原告代理人は、第一、三二五号事件につき、「原判決を取消す。被控訴人(一審被告)は控訴人(一審原告)らに対し、金五四〇万円及びこれに対する昭和三一年一〇月一四日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(一審被告)の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、一審被告代理人は、第一、一七五号事件につき、「原判決を取消す。被控訴人(一審原告)らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(一審原告)らの負担とする。」との判決を求め、第一、三二五号事件につき、本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。
≪以下省略≫
理由
一、一審原告らの長男坂上英雄が胸部疾患(肺結核)を患い、昭和二五年八月二八日に一審被告の経営にかかる大阪市立貝塚少年保養所に入所し、一審原告らの希望により同年一二月二四日退所し翌二五日死亡したことは、当事者間に争がなく、右保養所の組織及び職員の構成、英雄担当の医師、看護婦、保姆が一審原告主張のとおり(原判決三枚目表六行目から裏八行目までの記載)であることは、一審被告において明らかに争わないからこれを自白したものと看做される。
二、先ず、(1)坂上英雄の入所当時の病状、(2)入所直後の病状と保養所のとった医療等の処置、(3)入所後の小康状態、(4)その後の病状悪化、(5)桃太郎寮における英雄に対する保養所の看護その他の取扱、(6)英雄の重態化と死への転帰、(7)花咲寮における英雄に対する保養所の看護その他の取扱、以上の事項に関する当裁判所の事実の認定は、原判決一九枚目表終りより三行目から二行目にかけて「微熱が出るようになり」とある次に「殊に同月一八日頃から二四日頃にかけて、及び同月二七日頃から一二月二日頃にかけては、午後に三七・四度ないし三八度まで発熱することがあり、右の期間の体温表の線は、従前のそれに比べて相当の乱れを示し(以上の事実は、≪証拠省略≫により認められる)、体温以外の点でも、」と附加挿入し、また原判決二一枚目表の終より二行目「中村担当医師は」以下、同裏の終より五行目「英雄は尿量少く」までを、「中村医師は一二月一四日に英雄に浮腫の生じていることに気付き(カルテには翌一五日顔面及び足に浮腫ある旨を中村において記入した)、強心剤としてヂキタミンの注射を為し、翌一五日にはヂキタミンのほかビタカンフルの注射をも為し、英雄の親に対し病状の変化を打電したが、同医師は私用のため医師森勉に代理を依頼して同日より同月一八日まで休暇を取って私宅に帰り、森医師が同月一五日夜より代って英雄を診察し、病状の重大化を認めて同夜直ちにストレプトマイシンの注射を開始したが(以上の事実は、≪証拠省略≫を綜合して認められる)」と訂正するほか原判決理由説示と同一であり「≪証拠判断省略≫この点に関する原判決理由記載(原判決一五枚目裏五行目から同二二枚目裏末行まで、但し原判決一五枚目裏六、七行目に「原告本人坂上武雄の尋問の結果により成立を認める甲第五号証」とあるのを、「弁論の全趣旨により成立を認める甲第五号証」と、同一六枚目表四行目「古林一」とあるのを「古林兆一」と、各訂正する)をここに引用する。
なお一審被告は、英雄が昭和二五年一二月七日花咲寮の二階の個室へ移ったのちは、柴田看護婦が付添って特に入念に世話をしたから、一審原告主張の如き安静保持違反の事実は存しない旨主張し、原審証人柴田芳枝は、二階の患者たる英雄に対しては注射、検温のほかに食事の世話、室の掃除や小便を取ったりなどし、また食器洗いやその消毒などは看護婦が行い患者には何もさせていなかった旨証言しているが、右証言は、前記甲第五号証(英雄が一審原告に宛て同年一二月一〇日に書いた葉書であって、「今はもう全体がだるくてごはんをとりにいくのさいしんどいです。それに今日からちゃわんを消どくするから一時間たつと又あらへのことで、よけいにしんどいから、つきそいをついてほしいです」との記載がある)、及び≪証拠省略≫に照し到底措信しえず、≪証拠省略≫を綜合すると、原判決認定のとおり、英雄が同年一二月七日桃太郎寮の二階花咲寮の個室へ移ったのちも、担当の中村光子医師は、英雄の病状から、同人が配膳室に食事を取りに行ったり戸外の便所に行く位のことは病状に影響がないものと判断し、同人担当の柴田、前田看護婦らに対しても英雄の安静保持につき特別な指示を与えなかったので、右看護婦らは、英雄自身に配膳室からの食事運搬、食後の食器洗いと冷消毒水による消毒(四斗樽の消毒水に食器を浸し一時間後に再びこれを引上げること)、シビンの後始末をさせ、また大便は同建物から約一〇米離れた戸外の便所に行かせていたものであり、これらの行為は同月一三日まで続けられ、同日に至ってはじめて中村医師の指示により、担当看護婦らが同人の面倒をみる様になったため中止されたことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。
三、そこで保養所職員の不法行為の有無について判断する。
(一) 先ず、宮嶋保姆の処置及び昭和二五年一〇月三〇日頃までの森勉医師の処置に関しては、当裁判所は同人らの責に帰すべき不法行為の成立を認定するに足りないものと認めるものであり、その理由は原判決理由説示と同一であるから、その該当部分(原判決二三枚目表三行目から同二五枚目裏二行目までの記載)をここに引用する。
(二) 次に同年一〇月三〇日頃以降における森勉医師の処理についての過失の有無を検討する。
森医師は同年一〇月三〇日、英雄の過去一ヶ月余の小康状態に徴し、同人の病状は好転しつつあるものと考えて、同人を花咲寮より病状軽度の患者を収容している桃太郎寮に転室させ、同人に対し要求する安静度を一段緩和して前記基準の四度とし、その結果英雄は桃太郎寮において、さきに「(5)桃太郎寮における英雄に対する少年保養所の看護その他の取扱」として認定した事実の通りの処遇を受けるに至ったものであるところ、右英雄の転室並びに安静度緩和はその直前の同人の病状の小康状態に主として着眼するときは、必ずしも強ち誤った措置であったとまではいわれなくとも、英雄が元来、軽快化を容易に期待できなかった重症患者であった事実に徴すると、右安静度緩和の措置は、医療措置上の一の試みとしては首肯できても、それは稍早計な、しかも可なり大胆な試みであったというべきであり、結果において、右措置に伴う桃太郎寮における前記処遇は、英雄の病状に対しては無理な負担となり、同人の病状を悪化させる重要な原因となったものと考えられる。
≪証拠省略≫によると、英雄の入所当時同人を初めて診察した中村医師は、英雄の病状を十中八、九まで回復は不能の重症者と診断したことが認められ、≪証拠省略≫によると、森医師も英雄の入所時の病状を楽観を許さない重症者と判断したことが明らかであり、当審鑑定人浅海通太の鑑定結果によっても、英雄のレントゲン写真を通じて見た同人の病状は、回復が非常に困難であり、手当をしても死亡の可能性の甚だ強い重症者であったことが認められ(≪証拠判断省略≫)、森医師としても、英雄が元来右の程度の重症者であったことは充分了知していたものと認むべきであるから、英雄に対し前記の安静度緩和を含む転室の措置を講ずるについては、慎重を期し、かつその措置の前後に細心の注意を用うべきであり、少くとも右の実施の後の経過については終始これを注目し、多少でも病状の悪変化を生じた場合は、他に特別の原因として認められるものが存在しない限りは、同人の如き重症患者に対する右の転室に伴う処遇が矢張り同人には過度の負担であり、悪影響を与えたものと考えるのが至当であり、一日も早く右の転室措置の試みを中止し、原状に復するかその他適切な変更措置を講ずべき医師としての業務上の注意義務があったものというべきところ、森医師としては、前に認定した同年一一月一四日頃からの微熱の発生、同月一八日頃からの熱の高低の線の乱れ、便の変化、食思不振は反証なき限り了知していたものと推測されるから、早急に(遅くとも同月下旬頃までに)右措置の失敗を反省し、これが是正措置、少くとも安静度強化の措置を講ずべきであったものであり、またもし何等かの事情により自己の手で右の早急実施を為し得なかったとすれば、中村医師への引継に際し、右の是正措置の必要性を申し伝えるべきであったと考えられるに拘らず、森医師は当時何等右の是正措置に思いを致し、これが実施を試みた形跡がない(なお前記一一月一六日のX線写真の投影は過去の容態の集積された当時の現状の反映ではあるけれども、すべての病状の変化を常に早急に的確に反映するものとは考え難いから、右X線写真の状況は必ずしも一一月前半の英雄の処遇が不適切であったことの明確な反証とはならない。また血沈の状況は、少くとも一一月一四日においては前認定の通り二五・二五ミリであって、これは一〇月末の三〇・二五ミリと大差はなく、右の両回共に何等病状の軽快化を示しているものではない)。そうすると、森医師は、当時の結核療養措置上重要な患者の安静保持についての適切な注意、措置を為さず、後述の中村医師の行為と相俟って、英雄の病状の悪化を招来せしめ、その死期を早めた結果につき過失の責を免れない。
(三) 次に中村医師の過失の有無につき判断を進める。
中村医師は、前認定の通り、英雄の入所時に同人を初診し、その回復至難の重症者であることを知った後、同年一二月一日以降森医師の後を承けて英雄の担当医師となったものであるが、前掲乙第二号証(カルテ)は当然に引継を受けたものと推測せられるから、たとえ森医師から、英雄の当時の桃太郎寮在室による処遇の不適切であったことを告げられなかったとしても、右処遇が同年一〇月末の安静度軽化と転室の結果生じたものであること、及び前記カルテの上に、英雄に関する一一月中旬以降の病状悪化の徴候が記載されていることにより他に特段の理由のない限り前記転室措置の失敗が右の病状変化をもたらせたものであることを自ら留意、判断し、一二月七日に検痰の結果が陽性と判明する以前においても、一日も早く英雄の当時の処遇の改善と安静度強化その他適切な措置を講ずべき義務があったと考えられるにも拘らず、古の注意を用い、是正措置を試みた形跡が認められない。
のみならず、≪証拠省略≫によると、中村医師は英雄の同年一二月二日に為した検痰の結果が陽性であることが判明した一二月七日からその後同月一三日に至るまでの間、同人に対する処置としては、同月七日同人を桃太郎寮の二階の花咲寮の個室に隔離し、従来どおりカルチコール(カルシューム薬)、ビタミンB(栄養剤)を隔日に施用し、同月一一日から食事を粥食に変更したのみで、同人の安静保持に関しては担当看護婦に何ら格別の指示を与えなかった結果、英雄は用便、食事等につき自ら、前認定の行為(前記(7)「花咲寮における少年保養所の英雄に対する看護その他の取扱」の認定事実)を為すことを余儀なくさせられたことが明らかであり、≪証拠省略≫によれば、結核患者が陽性になること、即ち喀痰中に結核菌が検出されると言うことは、肺臓内にかなり大きな病巣がありこれが開放の状態になったことを示し、その結果として菌が体外に出て外部に感染させる虞があると共に、体内においても別の個所に病巣を増殖させる危険があり、また肺臓内に空洞があることにより菌の力が強化され、その毒素で発熱や体力の消耗を来すものであって、他の病状を考慮の外に置けば、患者が陽性になったことから必ずしも直ちに絶対安静(安静度1)の処置をとらねばならぬとは限らないが、少くとも病状が従来よりも更に悪化したことを示す著明な徴候の一つであることが認められる。そして前記のとおり元来英雄は入所当時から極めて重症の患者であり、保養所においても最重症患者たるD2に指定され、一時は小康を示したものの同年一一月中旬頃からは再び病状が悪化し、連日三七度を越え時に三八度に至る発熱が続き著しい食思不振、全身倦怠感を訴えていたのであるから、担当の中村医師としては、少くとも同人の陽性であることが判明し、病状の悪化が顕著となった同年一二月七日以降においては、同人を個室に移すだけではなく、その安静保持につき従来よりも一層特段の注意を払い、絶対安静(安静度1)ないしこれに準ずる程度の高度の安静保持に細心の意を用うべきであったにも拘らず、看護婦に格別の指示を与えなかった結果、最重症患者たる稚ない一二才の英雄をして、冬期に戸外の便所に行かせたり、食事の運搬、冷水による食器の洗滌、消毒等の作業までさせたことは、担当医師として、同人の安静保持につきその処置を明らかに誤ったもの(結果的にみても、同月一五日には明らかに浮腫を生じて回復不能の末期状態に陥っているのであるから、その直前まで右の如き作業をさせた処置が如何に不当であったかが明らかである)と言わねばならない。
なお英雄に対しては、同人に浮腫が生じたのち同年一二月一五日に至って初めて森医師によりストレプトマイシンの注射がなされているのであるが、≪証拠省略≫によれば、ストレプトマイシンが市販されたのは昭和二七年以降であって、それまでは進駐軍関係から入手するよりほかなく、殊に公的施設である保養所では昭和二五年当時その入手が極めて困難な状態であったことが認められるから、同月一五日までにストレプトマイシンの施用をしなかったことを以て、担当医師に過失があったものとはなすことができない。
ところで、中村医師が昭和二五年一二月一日頃から同月一三日までの間、英雄の安静保持につきその処置を誤った過失は、前認定の森医師の過失と相俟って、その結果として、前記のとおり英雄は同月一五日顔及び足に明らかな浮腫を生じ、もはや回復不能の末期症状に陥り、遂に同月二五日死亡したものであるが、元来英雄は入所当時から回復の可能性の極めて少い最重症患者であった者であり、いずれは右疾病による死亡を殆ど避け難い病状に在ったのであるから、右の適切な安静措置を怠った過失が直接に死の原因となったものとは軽々に推認することができない。しかし乍ら右安静措置上の過失により、元来最重症の状態に在って、しかも悪化の傾向を示していた同人の病状を、更に一層悪化せしめたであろうことは前認定の経過に徴しても容易に推認しうるし、同月一五日同人に末期症状たる明白な浮腫が生じた事実からみても、若しこれに先だつ約一ヶ月以前即ち同年一一月中旬頃より、同人に実際に与えた処遇よりも更に高度の安静を保持せしめたならば、かくまで急速に末期症状に陥ることはなかったであろうと考えられるから、いずれは同人の死は避け得られなかったとしても、右安静措置の過誤により少くとも同人の死亡に至る時期を相当期間早めたものであり、死の早期到来に相当の因果関係があったものと言わねばならない。そして他人のなした行為が、本人の死それ自体の結果を発生せしめるものではなくとも、医療上相当の注意を用いて適切に為された措置により到来する患者の死の結果よりも、右不注意により一層その者の死の結果の到来を早めたものであるときは、本人の生命に対する侵害として不法行為を構成することは勿論であるから、右森医師及び中村医師の安静措置上の過失は共同して英雄に対する不法行為を構成するものと言わねばならない。
(四) 次に、同年一二月一四日以降英雄の退所に至るまでの間における森、中村両医師の措置につき医療上の過誤が認められないこと、英雄の食思不振に対する処置についても医療上の過誤を認めるに足りないこと、英雄担当の看護婦につきその責に帰すべき職務の懈怠が認められないこと、保養所長広島英夫についてもその責に帰すべき職務の懈怠が認められず、保養所の設備の瑕疵による不法行為の成立も認められないこと、以上の諸点に関する当裁判所の判断は、原判決理由説示と同一であるから、その該当部分(原判決二九枚目裏終りから二行目から同三二枚目裏二行目までの記載)をここに引用する。
(五) そうすると、一審原告の主張事実中、森医師及び中村医師が昭和二五年一二月一三日以前に英雄の安静保持につき処置を誤ったことについては不法行為を構成すると認められるが、その余の主張事実については、これを不法行為として認定するに足りないものである。
四、してみると、森、中村医師の使用者であった一審被告大阪市は、民法第七一五条により右森、中村医師の不法行為によって生じた損害を賠償すべき義務がある。
五、そこで一審被告主張の抗弁について判断すると、一審原告らが英雄の入所に際し誓約書を差入れたことにより将来の損害賠償請求権を放棄したものとは認められないこと、一審被告において中村医師の選任監督につき過失がなかったとは認めるに足りないこと(≪証拠判断省略≫)、一審被告主張の終局的示談成立の事実も認めるに足りないことに関する当裁判所の判断は、原判決理由説示と同一であるからその該当部分(原判決三三枚目裏三行目から同三四枚目裏末行までの記載)をここに引用する。
なお森医師の選任監督につき過失がなかった旨の抗弁についても≪証拠省略≫により、森医師が医師としての資格と経験を有すること及び≪証拠省略≫により認められるような所長の協議会と診察の事実以外に右抗弁事実に該当する原因事実は認められないから、右抗弁も採用できない。
六、最後に損害賠償額について判断する。
先ず一審原告らは、一審被告の被用者の不法行為により物質的損害を被った旨主張するが、右物質的損害算定の基礎となるべき事実の主張立証をしないからこれを認めることができない。次に、一審原告らの精神的損害に対する賠償請求、即ち慰藉料の請求について検討する。坂上英雄が一審原告らの長男であることは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫によれば、原告らには英雄のほかに一男四女があることが認められ、≪証拠省略≫によれば、一審原告両名が当時一二才であった英雄の死亡により多大の精神的打撃を受けたことが認められ、従って本件不法行為の結果同人の死期が予想以上に早められたことについても相当の精神的苦痛を被ったであろうことは容易に推測しうるところであるが、一方前記のとおり、英雄は入所当時既に相当の重症であり、再起が殆ど不可能な状態であったこと、保養所は一審原告らの懇望によって英雄を入所させたものであること、森、中村両医師の不法行為の内容は安静処置の過誤にあり、それのみが死の決定的原因となったものではなく、その結果として死期の到来を早めた程度のものであることを考えあわせると、本件不法行為によって受けた英雄本人の精神的苦痛に対する慰藉料としては金四〇万円を、原告ら両名の精神的苦痛に対する慰藉料としては各自金一〇万円宛を以て、それぞれ相当と認められる(なお一審原告両名は、本件不法行為により直接英雄の生命を絶たれたものではないが、その死期の到来を予期よりも相当早められたことにより、同人が直接生命を絶たれたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けたものと認められるから、同人の父母として一審被告に対し自らの慰藉料をも請求しうるものである)。そして一審原告らは英雄の死亡により同人の一審被告に対する金四〇万円の慰藉料請求権を半額宛相続したものであり、結局一審原告両名は一審被告に対し各自金三〇万円宛の損害賠償請求権を取得したものである。
一審被告は、一審原告らは英雄の発病の初期発見を徒過し、その発見後も十分な処置をとらずに登校させた結果、同人をして殆ど回復不能の病状に至らせたものであるから、一審原告らにも過失がある旨過失相殺の主張をするが、本件不法行為は英雄の入所後に存するのであるから、一審被告の右主張は採用することができない。
次に、一審被告が昭和二九年三月一四日一審原告らに対し本件紛争に関し金二〇万円を交付したことは当事者間に争がなく、≪証拠省略≫を綜合すると、右金二〇万円は一審被告から一審原告両名に対する慰藉料として交付されたものと認めるのが相当であり、弁論の全趣旨によれば、一審被告の右金二〇万円交付の主張のうちには、仮に示談解決の主張が認められぬときには慰藉料請求権弁済の主張も含まれているものと解されるので、右金二〇万円を右慰藉料額から控除すると、一審被告は一審原告両名に対し、夫々金二〇万円宛、及びこれに対する本件不法行為後である昭和三一年一〇月一四日以降完済に至るまで年五分の割合により遅延損害金を支払うべき義務がある。
七、以上の理由により、一審原告らの本訴請求は右の限度において理由があるがその余は失当であるから棄却すべきであり、従って右の限度を超えてこれを認容した原判決の一部は失当であるから、一審被告の控訴に基き原判決を変更し、一審原告らの本件控訴はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、第九六条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用の上、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡垣久晃 裁判官 宮川種一郎 奥村正策)